top of page


★こんにちは!8月も、もう終わりが見えてきました。

私は誕生月って異様に張り切るんですよ、毎年元気。

去年もレコーディングしてたし、今年もレコーディングしていました。

しかし去年に比べて大幅に色々なものをかけて臨んでおります。

この1年の間にルー・ガルーはかなり成長しました。

もともとある力をどうやってこのバンドのために練るかっていうのを、メンバーのみなさんがクソ真面目に考えて実践して下さったおかげで、一つの作品が今まさに結実しようとしているのです。ご期待下さい!(まだ作業は終わってない……)


★8/7@渋谷WWWのワンマン『Dog Day Afternoon(狼たちの午後)』

けが人なども出ず,たくさんのご来場者のみなさまにも恵まれ、無事に終了致しました。

私の誕生日には珍しく大嵐でしたね。その所為で遅れた、行けなかった、という方々なんかもいらっしゃったようで……、本当にありがとうございました。

「悪魔」って必ずこういう、大雨、雷、みたいな日に生まれてくるでしょ?この日に初披露した新曲であり、アルバムタイトルである『暗野』で「悪魔」という歌詞も出で来るので、個人的にはちょっと胸躍るというか、そんな感じも失礼ながら、あったというか。(そうありたいのは山々だけど)ただスルッと終わるだけではないだろう、何かあるだろう(ライブなんだしね?)っていうものに対して、前回のWWW公演は正直怖かったんですけど、今回はやったろうやないか、という気持ちになっていた、ちゃんと構えられてました。

結果は、……観た方は観てのとおりで(笑)。でも、嬉しかった感想としては、人間と人間でないものを行き来しているような感じだったという、まあそれまさに、狼人間じゃないですかあ。やったね~。これからもがんばりま~す!!!







★以前『NOIZ NOIZ NOIZ#2』のインタビューで、次のアルバムはHOMMヨの『coldfinger』(2014)と重なるところがあるのだろうな、みたいな話をしてて。

この時はアルバム曲がまだ全て出そろってはなかったんですけど、ほんまそうなったなという感触があります。

『coldfinger』は東日本大震災の影響が強く出ていて、ジャケットもちょっと意識してるんですよね。同時に「原爆」のことをテーマにした『ライカ』も入ってますし、あの黒い水の入った筒に生けてある花は「きのこ雲」を連想させるようにしたんです。

ま、どんだけ届いたのかわかりませんが。

あのさー、イメージってあると思うんだよね~、日本において、アラサーの一応"ガールズバンド"とされてたようなバンドがさ、反戦とか反原発みたいなことをテーマに曲作ってるとか、まさか思わないんでしょ、多分(笑)。「ライカ」をナイーヴな感じで解釈(してもいいけど)されると、やっぱ歯がゆかったですよ当時も。


★10代で「パンク」に触れて感動したので「青春パンク」に虫唾を走らせつつ、大学に入ったら童貞が青春がセックスがどうだみたいなことをステージで叫んでるのが「パンク」って呼ばれてて呆れてたんだけど、「楽器を持たないパンクバンド」とかいうキャッチフレーズでアイドルグループが出てきたりとか(内実全然知らないですが、すんません)、ああそっか、そういう「逆張り」「見せ方」程度にしか捉えられてないのか、じゃあ自分とは関係ねーや、ってそのときは思ってたんです。

今40歳になったんですけど、「見せ方」が「アイデンティティ」を喰ってるっていう小さな社会現象だったのだあれは、ってことに気が付きました。名乗ったり呼ばれたりしてるからって、「パンク」ではそもそも、無かったんですね。”小さな”社会現象はいまや”大きな”社会現象に成長して、私は圧倒されています。関係全然、あったじゃんと思って反省した(けどマジに無視できてたのは偉かったじゃん、とも思ってる)。


 自分の選択や興味であたかも「違う社会」を生きられているなんてまやかしですよ。全てが影響しあうんですわ。それが見えていなかった。日本社会って「ご近所の目」くらいの規模感しかなくって、その規模感だけ意識してパフォーマンスしてればいい、っていう狡賢いタイプは生きられるぽいからまだいいんだけど、その「ご近所の目」系の狭さに息苦しくなってる人に差し伸べられる手、つのもないんだよね。だから「息苦しい!」って絶叫する程度で「パンク」って呼ばれたりするんだね。私は少なくとも、「助けて!」って手を伸ばしてた気がする。その手を最初に取ってくれたのが、きっとカート・コバーンだった。ニイマリの音楽四天王の「怒」を司りし、カート・コバーン……(四天王は自分で曲を書き唄うという共通項がある)。


 んで、今です。『暗野』は30代まででこつこつ考えたり学んだりしてきたことから発する「怒り」がようやく表出したものになった気がします。

私にとって、まず"作った曲"って「おまえは今こういうことを考えている/感じている」って自分に教えてくれるものなんです。10年前はどうしても「怒り」より「哀しい」が先に立って盾になってて、こいつ(怒り)は出てこないヤツかもしれない、とずっと思ってた。

しかし、「怒り」は「哀しい」を内包しながらようやく曲に出てきた!という感じですねん。そういう手応えがございます。それだけ今の状況が本当に過酷でしんどく、超絶に悲観せざるを得ないからと言えるでしょう。


 アリ・アスター監督の映画『ボーはおそれている』を観たんだけど(続けざまに見る悪夢って感じで力ない笑いが出てしまいつつも、3時間超えの鑑賞に耐えうる作品であった)、アリ監督も「25年後に映画を作れてるかなんて、自分たちが存在しているかどうかも危ういけど、映画で描くことはまだ沢山ある」ってインタビューで応えていました。私もそう思います。音楽で描くことは、まだ沢山あります。


photo:Yuna hoshino

bottom of page